そうして二人は

 春の気配が随分と近くなってきた日の午後。ステルキ家の墓前にヴェルザとハルジがいて、花の時期が長い冬至の花(ヨールロース)を供えている。

「お父ちゃん、お母ちゃん、アトリ、トゥーリッキ。皆に報告することがあります。私とカ……じゃなかった、ハルジは今日、正式に結婚致しました」
「本日をもってス……じゃない、ヴェルザの夫になりました、ブリュンハルズ・ステルキです。どうぞ宜しく御願い致します」

 二人は薬指に嵌めた金の指輪を見せつけるように、墓石に向けて手を翳した。

「結婚を決めた時点で報告をしようかと考えたのですが、やはり正式に夫婦となってからの方が良いのではないかと考えまして、今日になりました」
「結婚をすると決めるのは簡単……いえ、返答するのに頭を悩ませましたが、それはおいといて。すると決めたら、やらなくてはならないことが沢山あるとは知りませんでした……」

 証人となってくれる人物を二人探して、必要事項を記入した婚姻届を役所に提出して終わりだと勘違いしていた己を呪いたいとハルジがこぼす。

「未だ名義変更の手続きが残っていますからね……面倒なことを押し付けてしまいまして申し訳なく思っております、カ……ハルジ」
「ステルキ姓になると決めたのは僕ですから、貴女が気に病むことはありませんよ、ス……ヴェルザ」

 ステルキ准尉、カウピさんと読んでいた期間が長いので、未だ個人名で呼ぶのに慣れていない二人は二基の墓石に「また会いに来ますね」と告げて、帰路に就いた。


 ――時間を多少巻き戻す。

「結婚することを決めたのは良いのですが……先ずは何からとりかかるのでしょうか?」

 というハルジの発言により、二人は新たな話し合いを開始する。こうしたら良いのか、ああしたら良いのか。こうでもない、ああでもないとやりあって、ハルジの両親とヴェルザの養親に結婚の挨拶に行くことが決定する。
 予め都合の良い日を伺ってからやってきた、ハルジの実家のカウピ家の屋敷。ヴェルザの自宅より広いのではないかと思われる応接間に通され、彼女は急に怖気付いた。

(うっかり忘れてしまいますが、カウピさんは良家の子息でしたね……)

 カウピ家とステルキ家は家格が違いますので釣り合いません。よって、二人の結婚は許しません!――なんて言われる可能性にヴェルザは今更気づくが、そんなことはおかまいなしのハルジが両親に告げた。

「お父さん、お母さん。僕はステルキ准尉と結婚します」

 ハルジの両親は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をすると物凄い勢いでヴェルザを見る。
 ――あ、こりゃ駄目かな?
 心の準備がし切れていなかったヴェルザが顔を引き攣らせていると、ハルジの両親は号泣した。訳が分からないヴェルザとハルジは、ぽかん、とするしかない。

「有難う!有難う、ステルキ准尉!うちのハルジで良いのでしたら、どうぞ持っていってください……!」
「尚、返品は受け付けておりませんので、御了承くださいね……!」
「え~と、そのようなことは致しませんが、肝に銘じておきます」

 反対されるかと思いきや、物凄く感謝されてる。身構える必要はなかったのだと分かって、ヴェルザは拍子抜けする。

「ああ、そうでした。お父さん、お母さん。僕はステルキ姓になろうと考えているのですが、何か問題はありますか?」

 問題ですか?ありますよ、だって私、初耳ですもの。
 ハルジの爆段発言にヴェルザは呆然としたが、彼の両親は「異議なし」と答えた。

「あの~、どうしてそのようなことを考えられたのでしょうか?」

 カウピ姓でいる方がハルジにとっては得でしかないので、ヴェルザは自分が改姓するつもりでしたのだ。

「僕がステルキ姓になれば、貴女がカウピ家の財産を狙って僕と結婚したのだと陰口を叩かれないだろうと考えました」

 いえ、それでも財産狙いだと陰口は叩かれます、きっと。
 そうは思うけれど、ハルジは他人の悪意からヴェルザを守ろうとしてくれているのだと伝わってきて、ヴェルザの胸が温かくなり、愛しさが溢れた彼女はハルジをぎゅっと抱きしめた。両親がニヤニヤして此方を眺めているのが目に入って、ハルジは顔から火が出そうになるし、ヴェルザの腕力で息苦しかった。でも、彼女に抱きしめられるのは嫌ではないので、か細い声で「このままでは窒息死します」と伝えるだけにした。


 そして、二人が次に訪ねたのはヴェルザの養親である、クヴェルドゥールヴ夫妻だ。あちこちに剣や槍や盾、はては猟銃が飾られている物騒な応接間に通された二人はクヴェルドゥールヴ夫妻に結婚の挨拶をした。当主アースビョルンは静かに席を立つと、窓の側まで移動し外の景色を眺め始めた。妻のリーン曰く「ヴェルザの結婚が悲しくて拗ねているんだよ」とのこと。悲しみに暮れているアースビョルンを放置して、三人であれこれと話をして暫く。やれやれ、と、リーンが息を吐いた。

「いつまで拗ねているのかな、ビョルン?ヴェルザとカウピ氏の結婚を祝福してやれないなんて、私の夫が小さい器の持ち主だとは知らなんだ。がっかりだね」

 妻の言葉が槍となって心にぐっさりと突き刺さる。それが抜けないらしいアースビョルンは大きな体を小さく丸めて、シクシクと泣き出した。

「そういえば義母君(ははうえ)、アルネイズはお出かけですか?」

 クヴェルドゥールヴ家に二人で挨拶に伺うので、アルネイズも臨席してもらえないか。予めそう言っておいたとヴェルザは記憶しているが、彼女の姿はこの場にはないし、気配も感じられない。

「大泣きをして暴れてしまいそうだからと言って、何処かへと行ってしまってね。だが、アルネイズは言っていたよ、ヴェルザの結婚相手がカウピ氏なら間違いないと。その人はヴェルザを大切に想い、ヴェルザに襲いかかる理不尽に立ち向かう人だ。ただ、返り討ちに遭いそうなところだけは心配だ、とも言っていたね」
「……僕は頭脳労働担当ですので、力仕事はステルキ准尉にお任せします」

 ハルジの返答が面白かったのか、ヴェルザとリーンが顔を見合わせて笑った。
 ――別れ際。窓際で悲しみに暮れていた熊、もといアースビョルンがのっしのっしとハルジに近づいてきて、じっと見下ろしてきた。若しかして頭から食われるのだろうか。ハルジは気を引き締める。

「ヴェルザはヒルディブランドとグンの大切な娘です。私たちにとっても、大切な娘です。どうか、誰よりも大切にしてください」

 ハルジは迷いことなく「勿論です」と答え、二人は力強く握手した。アースビョルンが力加減をしてくれたので、ハルジの手は無事だった。


 カウピ家とクヴェルドゥールヴ家に挨拶を終えてからも、二人はやらなければならないことで忙しくしていた。結婚するとなれば、独身寮から退去しなくてはならない。二人の住まいを探していると、ハルジの父親フリズショーヴの紹介で一戸建ての空き家を貸してもらえることになった。カウピ商会は不動産業にも顔が利くらしいと、ヴェルザは初めて知る。
 既婚者の証となる指輪も購入しなければ、と、ハルジに相談を持ちかけると、彼の母親ロズニューの実家が宝飾品店を営んでいると紹介され、其方で金の指輪を購入することができた。
 結婚式を挙げるのか、という問題については、

「挙式という名の公開処刑ですよね……」
「見世物になるのは嫌ですね……」

 挙式に嫌な思いがあると二人の意見が一致し、挙式はしないことが決定する。その代わりに、結婚記念の写真を撮ることにした。写真が出来上がったら、ヴェルザの両親、アトリとトゥーリッキの写真と一緒に飾るつもりだ。
 こうして準備を整えていき、フリズショーヴとアースビョルンに証人になってもらい、ヴェルザとハルジは婚姻届を提出することができたのだった。


 ――巻き戻した時間を進めて。現在。
 自宅に戻ったヴェルザとハルジは居間の長椅子に並んで座って、寛いでいる。体の一部がくっついて、相手の体温を感じられて、心地良い。

「明日は出勤日ですので、食堂の料理長に結婚の報告をしようと考えています」

 彼が「あんたら、さっさと結婚しろ」と言ってくれたから今があるとハルジが言うと、ヴェルザが「そうですね」と頷いた。

「それからですね、僕の父が食事会を催したいので、都合の良い日時を教えて欲しいと言っていました」

 ハルジの長兄一家、別の町で生活している次兄、三兄も呼んで、ヴェルザと顔合わせしたいのだそうだ。

「分かりました。楽しみですね、カ、いえ、ハルジのお兄様方とお会いするのが」
「ス、ヴェルザは一度、長兄の顔を見たことがあるかもしれませんよ」

 小悪党に絡まれて眼鏡を失い、足を負傷したハルジをヴェルザが実家まで送り届けてくれたことがあっただろうとハルジが言うと、ヴェルザは「あ~」と声を出す。

「玄関の向こうから男性の声がしたのは覚えておりますが、お顔はしっかりと見ていなかったかもしれません。ハ……ルジに似ていらっしゃるのでしょうか?」
「ヴェ、ルザとアトリが面差しがよく似ていますが、僕と三人の兄は似ていると言われたことはあまりないですね。僕と違って、兄たちは社交性がしっかりと備わっておりますので、兄弟だと気づかれないこともありますし」
「ならば、余計に楽しみですね、お会いするのが」

 ウキウキとするヴェルザの耳にハルジの腹の音が届く。まあまあ大きい音だ。余程、腹が減っているに違いない。ちら、と、隣にいるハルジの顔を横目で覗いてみると、彼は顔を赤くしてそっぽを向いていた。

「今日の夕食が如何致しましょう?」
「……今日は僕たちが正式に夫婦になった日ですから、お祝いも兼ねて外食にしましょう」
「ええ、そのように」

 お祝いだからと言って、お互いの羽目を外しすぎないように。ハルジは食べ過ぎない。ヴェルザは酒を飲み過ぎない。財布の中にどれだけのお金が入っているのかを確認してから、出かけよう。
 ヴェルザが笑って、つられたハルジも分かり難いけれども笑う。表情筋が以前よりも動くようになってきているらしい。

「可愛い」

 不意にヴェルザの顔が近づいてきて、彼女の唇とハルジの唇が軽く触れ合った。きょとん、としてから数秒。ハルジは茹でエビになった。純情である。

(慣れない……)

 けれど、嫌ではない。決して!
 そう遠くないうちにハルジの羞恥心は何処かへと姿を消していって、別の感情が顔を出すのだろう。もたもたしながら支度を済ませて、玄関先で待つヴェルザの元へ。扉を開ければ、冷気が一気に入り込んでくる。外に出て、家の鍵をガチャンと閉めて。

「さ、行きましょうか」
「はい」

 二人はどちらからともなく手を繋いで、歩調を合わせて、火点し頃の空の下を歩いていく。