右手に箒、左手に塵取り、心に勇気

お呼びでない人ほど突然やって来る不思議

 焼き菓子は二種類ほど、飴は四種類ほど追加注文しなくては。
 商品の在庫を確認して、仕入れ業者への注文票に記入をしていると扉が開く音がしたので、カトラは反射的に振り返り、抜群の笑顔を浮かべる。

「いらっしゃいませ!」
「こんにちは、カトラ」
「…………………………こんにちは、ヘルギ」

 晴れやかな表情は一転して、どんよりとした表情に。脱力したせいで手にしていた物を落としそうになったが、カトラは寸でのところで難を逃れた。
 ――まあ、なんということでしょう。人妻の勘が的中致しましてよ、ディーサ。できればヘルギではなくて、彼の妹に現れて欲しかったのに。カトラに祈りは天に届かなかったと分かり、彼女の表情がより一層暗くなる。

(全く歓迎されていないな。感情表現があからさまだ)

 彼女の心情を察知するものの、大人しく退店する気は起きない。麗しい笑みを湛えたヘルギは歩を進め、虚ろな目をした彼女の許へ。

(相手はお客様です、敵ではありません。繰り返します。お客様です、敵ではありません)

 呼吸を整えて、いざ、にっこり――だが、表情筋が強張ってしまってカトラは絶妙に面白い顔をしてしまった。そんな彼女の背後に、全身の毛を逆立てて、シャーーッと威嚇している猫の幻覚が見えたヘルギは顔を背けた。どうしよう、全力で警戒している。面白い、噴き出しそうだ。
 ――若しかして、笑うのを堪えていらっしゃる?微笑みながらも顔を背けている彼の様子から察したカトラは少しイラッとした。

「ナニカ、ゴヨウデ、ゴザイマスカ?」

 どうして急に片言になるのだろう。意味が分からない。込み上げる笑いをぐっと堪えて、ヘルギは正面を見据えた。カトラがどうにも面白い顔をして、此方を警戒している。彼は天を仰いで暫くしてから、もう一度正面を見た。

「この間、貴女に頂いた本のことなのですが……」

 その言葉を耳にした途端に、警戒心は何処へやら。期待と不安が入り混じった目でカトラがヘルギを見上げてくる。変わり身が早いな、と、彼は正直に思った。

「本を読み終えた妹が言っていました。少女と妖精と一緒になって、不思議な冒険をしているような気持ちになれて楽しかったと」
「……っ!楽しんで頂けたなら何よりです!……嬉しいっ」

 名前も顔を知らない少女が、カトラの物語に胸を弾ませてくれた。それを知れて、物凄く嬉しくて、ほんの少しだけ照れ臭い。にやにやが止まらない、どうしよう。

「他の本も読んでみたいと妹に言われているのですが……貴女の本はあの一冊だけなのですよね?」
「……ええ、まだまだ推敲中で、いつ頃に本として形にできるのか、全く目処が立っていない状態です」
「それでは……今日は別の作者の本を買って帰ることにします。貴女が勧めてくれた本なら、妹も読むのではないかと」

 ヘルギの妹の趣味は冒険物語だったかとカトラが尋ねると、彼は頷いた。

「然しですね、両親の考えではそろそろ情緒を育てて伸ばしていけるような本を読ませたいようでして……」
「成程……」

 二人を隔てる砦――勘定台から飛び出して、ヘルギの隣をすり抜けたカトラが向かったのは本棚だ。どの本を勧めてみようかと熱心に考えるカトラを眺めながら、ヘルギはゆったりとした足取りで彼女の傍へ。

「魔女に呪いをかけられて、眠りについてしまった王女様の物語なんて如何かしら?」
「呪いをかけられる前に魔女をコテンパンにしそうな妹ですね」
「人間の王子様に恋をしてしまった人魚の物語は?」
「人間の王子様は放置して、海に人魚を探しに行きそうな妹ですね」

 ヘルギは年の離れた妹のことをなんだと思っているのだろう。精神年齢が五歳児並みの妹だとか平気で言ってのけてしまう兄がいなくて良かった、などと思いつつ、カトラは本を探す。

「……猫に関する物語をいくつか集めた本なんて如何かしら?」
「ああ、動物が出てくる物語は興味を持ちそうですね」

 カトラは胸を撫で下ろし、その本を手にして勘定台へ。ヘルギも彼女の後をついていく。振り返るとヘルギの胸元が目の前にあって、そのまま視線を上げていけば自然と目が合って、不思議と逸らせない。

(フッとか、フフンッとか……そうでもない表情もできるのね、この人)

 嫌味の欠片もない穏やかな顔をしたヘルギに意外性を感じつつ、本の代金をしっかりと請求すれば、彼はささっと支払いを済ませてくれる。お買い上げとなった本を手渡す際に指先が触れ合ったが、嫌悪感がまるでなくて、カトラは思わず首を傾げた。実父がアレで父方の従兄がアレで母方の祖父までアレだったので、男性不振気味の彼女には珍しいことだ。
 ――その時、不意に店の扉が、ぎい、と開いた。来客に気がついたカトラは其方に目を向けて、いらっしゃいませと告げるはずだった唇が強張って、息だけが漏れた。

「どうしてこんな所にクヴェルドゥールヴ大尉がいるんだ?」

 招かれざる客――アスクロー男爵ことローズビャルトは、カトラの隣に佇むヘルギを見つけるなり眉根を寄せた。

「失礼。何方様でしょう?」

 ローズビャルトはヘルギの顔を知っているが、ヘルギはローズビャルトの顔を知らなかったらしい。それが気に障った器の小さい男爵はつかつかと歩み寄り、両手を腰に当ててふんぞり返って、長身のヘルギを見上げる。

「アスクロー男爵だ。御父上から私のことを伺っていないのかね?」
「お初にお目にかかります、男爵閣下。父からは閣下より有難いお話を頂いたと伺ってはおります」

 ヘルギがにっこりと笑い、ローズビャルトが顔を顰める。言葉が続かない。絶世の美丈夫と冴えない中年男が無言で見つめ合うこと十数秒。痺れを切らしたのは、後者だ。

「我が娘との縁談に興味があるのであれば、父親たる私に話を通してから、娘に会うのが筋ではないか?」

 自分の利益の為に娘を悪者に仕立て、ホラまで吹いていた人間が自分のことを棚に上げている。コレと血が繋がっている事実に目を背けたいカトラの気持ちなど、お構いなし。そんなローズビャルトの心臓には極太の毛が生えているに違いない。
 それはさておき、厚顔無恥男爵の問いにヘルギは何と返すのだろう?ちょっとだけ、カトラは好奇心が湧く。

「御息女には、我が家よりも高貴な家柄の御子息との御縁がありましょう。大変勿体無いことでは御座いますが、今回の御縁につきましては御断り申し上げます」
「……ならばどうして、貴殿は此処にいるのかね?」
「妹の為に本を買いに参りました」

 予想外の回答にローズビャルトが面食らい、カトラが小さく噴き出した。確かにヘルギは妹の為に本を買いにやって来たのだから。然し、心臓に毛が生えている中年男は負けない、そして、めげない。ローズビャルトは体勢を立て直さんとして、標的をヘルギからカトラに変更する。

「カトラ。私はお前の望み通り、ヘルギ・クヴェルドゥールヴを連れてきてやった。宣言通り、彼と結婚するんだ」
「今のやり取りを記憶から消し去ったと仰るの?恐ろしい早さですこと!ヘルギ本人から直々に丁寧に縁談を断られましたが!?」

 口元に手をやって、ヘルギが顔を背ける。微かに震えているので、二人のやり取りが面白かったのだろう。カトラはちっとも面白くないのだが。

「さあ、御用件はお済でしょう?どうぞ、お引き取りくださいな、男爵閣下!」
「カトラ……適齢期を過ぎようとしている娘を心配している、この父親の気持ちを察してはくれまいか?どうして父親の愛情を無下にできるんだ!?」
「え?父親の愛情って何ですか?そもそも私には父親はいませんの、今も昔も 。ですから、この世に生まれてから現在に至るまで、父親の愛情なんてものはかけられた覚えが一切ございませんの」
「この恩知らずが!!!これだから庶民の血が入ると碌な人間にならないんだ!!!」
「娘を金持ちに嫁がせて、婚家に寄生しようと企んでいる人が父親だなんて冗談じゃ御座いません!!!それに恩なんてかけられた覚えがないのだから、知らないに決まっているでしょうが!!!」

 カトラとローズビャルトは睨み合い、獣のように唸り声をあげる。仮にも貴族だというのに気品は何処に投げ捨ててしまったのか。やれやれ、と言いたげなヘルギは二人の間に割って入り、今にも相手の喉元に噛みつかんばかりのカトラを背に隠した。

「突然ですが。仮定の話を致しましょう。小官と彼女が結婚したとしても、クヴェルドゥールヴ家はアスクロー男爵家に金銭的援助は致しませんよ」
「……………………はぁっ?」

 娘の言葉は聞き入れない耳だが、ヘルギは違うらしい。再び面食らったローズビャルトは動揺を顕わにして、立ち尽くす。その様がおかしいので、ヘルギは彼から目線を外しつつ、話を続ける。

「我がクヴェルドゥールヴ家は武を重んじる者の集まり。つまり、脳ミソが筋肉でできている連中です。簡単な計算も碌にできない我々は稼いだ金は全て使い切りますので、貯金するという能がない。貴族が金や銀を蒐集するが如く、我々は鋼でできた武器を蒐集します。前者はいざという時に売却できる財産となりますが、後者はただの金属の塊。謂わば、無駄に重たいゴミです。廃品回収で微々たる銭に変われば上等だ。――よって、クヴェルドゥールヴ家……いや、クヴェルドゥールヴ一族には他者に施しをする余裕などありはしないのです……!」

 爽やかに微笑んで、穏やかな声で、毒を含んだ言葉で自分の一族をボロカスに言う人をカトラは初めて目にした。

「し……然し、クヴェルドゥールヴ家は名門と謳われて……っ」
「栄誉はあれど、領地を持つ王侯貴族ではない。栄誉で金は稼げません。ですから我が一族の多くは軍人となり、体を張って金を稼ぎ、金属ゴミ蒐集に力を注いでいるのです!小官はてっきり男爵家が我が一族を養ってくださるのかと期待したりも致しましたが……やはり違いましたか。残念です」
「そ、そんなぁ!」
「あの~、ヘルギ?」

 何となく不安になってきたカトラが、ヘルギの袖を引く。彼は少し振り返ると、形の良い唇に人差し指を立てた。静かにしていろ、ということか。力無く項垂れているローズビャルトはこのやりとりを目にしていない。

「おっと!言い忘れておりました。過去の栄光の残りカスで生き永らえている我が一族ではありますが、それでも世間体は気に致しますので、男爵家の皆様の身辺調査を致しました」

 ヘルギは追撃の手を緩めない。ぎくり、と身を強張らせたローズビャルトがさーっと顔色を失っていく。恐らく暴露されては困ることがあるに違いない。

(……調査済みなのに男爵の顔を知らないふりしたのね、この人)

 光り輝く貴公子と渾名される美丈夫はなかなか腹が黒いらしい、と、カトラは学んだ。だから初めて出会った時、彼の背後にどす黒い何かが見えたのだと納得もした。

「先ずは家長たる男爵閣下から参りましょうか。閣下が代表を務めている事業は粗雑な経営により売り上げと人員が減少の一途を辿り、負債が膨らんでいく一方という状態にあります。収入よりも支出が多すぎる家計は火の車という有様で、各種税金の滞納も続いている為、屋敷は抵当に入れられ、爵位の維持も危機に瀕していらっしゃいますね」

 カトラに無関心であるはずのローズビャルトがここまで食い下がってきた理由が分かり、カトラは肋間神経痛を訴えてくる脇腹を摩る。

「次に閣下の姉君ですが、胡散臭い儲け話に目が眩んで投資詐欺に遭い、唯一の別荘地を二束三文で奪われたのだとか」

 ローズビャルトの姉ビュルギャは男爵家の力ではどうにもならないのだと知ると、大胆な行動に出た。息子のローイを利用して、かつての婚家に泣きついたのだ。伯母の姿は男爵に似ている。血は争えない、ということなのか。
 因みに、かつての婚家は「当家は貴女がた母子とは一切の関係を持ちません」と切り捨てたようだ。

(……あの人、また詐欺に遭ったのね)

 王族の隠し子という怪しさ満点の若い男を信じて、ビュルギャは結婚詐欺に遭ったことがある。その際は未だ存命だったスタール家の祖父が後始末をしていた。そう記憶しているカトラは肋間神経痛の痛みが増してきた気がして、少し前屈みになった。

「最後は甥御ですが……彼はとある商家に弦楽器の講師として雇われていましたが、教え子である令嬢に手を出して妊娠させてしまいましたね。現在、その商家に訴えられている最中です」

 あの天辺禿げ予備軍男はどの口で、「私はお前を妻にしてやれないんだぞ?」な~んてぬかしやがったのかしら?遂には眩暈までしてきて、よろけたカトラはヘルギの背中に凭れかかる。彼は何も言わずに、そのままにしてくれている。優しさか、はたまた面倒だからかは分からないが、今ばかりは甘えさせてほしい――なんて都合の良いことを考えてしまう。

「……カトラ、助けてくれないか?」

 抜けかかっていた魂が体に戻ってくるなり、ローズビャルトはこの期に及んでカトラを利用しようと試みてくる。こんな醜悪な人間と血が繋がっているという事実が、カトラの胸を酷く締めつける。

「なあ、お前からエルドグリームに頼んでくれ。あの石頭も、お前の言葉には耳を貸すだろう?男爵家を助けなければ、冥府のインギビョルグが嘆いてしまう。そう言ってくれたら良いんだ。溺愛していた妹の名を出せば、あの男も直ぐに金を払うに決まって――」
「最愛の妹を無下に扱って、命を縮めた男に、その家に、エルディ伯父様が援助することはない。伯父様はスタールのお祖父様とは違うのだから。もう諦めることね。さっさと破産して、爵位も失って、庶民として生きていってください」

 亡き妻まで利用しようとするローズビャルトの言に、カトラの堪忍袋の緒が切れた。湧き上がる怒りが力を与えてくれて、体の不調は消え去った。ヘルギの背から離れ、前に進み出たカトラは情けないことこの上ないローズビャルトをぎっと睨みつける。

「……まだできることはある!この男ではない金持ちの男と結婚して、お前が男爵家を救うんだ!あの時の私のように!望まない結婚をすることは男爵家に生まれたものの定めというもの。なあ、カトラ?父を哀れむなら……っ」
「あら~?お忘れなのかしら~?私に仰いましたでしょう?政略結婚の道具にも使えない不細工な娘だと!!!」

 理不尽な扱いに耐え続けてきたカトラの肩が震えているのが目に入り、ヘルギが眉根を寄せる。

(不細工?カトラが?どこが?ぷくぷくして、もちぷになのに?……ありえないな)

 ヘルギはローズビャルトを白眼視した。彼女の魅力が理解できないなんて、どうかしていると。

「間もなく迎えるであろう男爵家の終焉は、貴方がたの過ぎた身勝手が招いた結果です。淀みきった目を見開いて、現実を御覧なさいな。夢を思い描いていた私に、貴方がたが決まり文句のように投げつけてきた言葉をお返し致します!」

 膝から崩れ落ちるローズビャルトには目もくれず、踵を返したカトラは店の奥に消え、暫くして戻ってきた――右手に箒、左手に塵取りを装備して。

「とっとと出ていけ、この糞ジジイ!!!いつまでも居座ってんじゃないわよ!営業妨害で訴えるわよ、コノヤロウ!!!」

 きっと、箒と塵取りはボロボロになってしまうだろう。短期間で道具を何度も買い換えたら、店主に「物を大切にしない女だな」と白い目で見られるかもしれない。それでもカトラが道具を武器として装備する――目の前にいる悪霊を叩きのめす為に。

「ニンニクが手元にないけれど、悪霊退散!!!」
「な、何だとぉっ!?痛ぁっ!!?」

 四つん這いでカトラの攻撃を受けながら、あちこち動き回るローズビャルトが何かに似ている。ヘルギはカトラに加勢はしないが、ローズビャルトを助ける気もないようで、腕を組みながら暴力沙汰を眺めている。うん、今の振り下ろし攻撃はキレが良い。彼は満足そうに頷いた。

「お前の、ような、野蛮人など!あだっ!私の、娘、では、ないっ!」
「私に父親はいないとずーっと申しておりますがっ!男爵としか呼んだことがないのだから、それくらい気がつかないの!?」
「に、二度と!いでっ!男爵家の者だと、言うでないぞっ!ふごっ!二度とこんな所に、来るものかっ!!!」
「その言葉、三歩歩いて忘れないでくださいませね!!!」

 逃げ回っていたローズビャルトが立ち上がると、カトラは最後の一撃を決めた。彼女の横薙ぎに尻をやられたローズビャルトは悶絶しながらも、店の出入り口の扉を開けると、振り返る。涙目で睨みつけられても、迫力がない。そしてローズビャルトは何も言わずに外へと出ていった。扉は開け放たれたままで、入り込んできた風が淀んだ空気を和らげてくれるように感じられた。

「扉は開けたら閉める!常識でしょうに……どういう教育を受けてきたのかしら、あの糞ジジイ……っ!」
「カトラ?」

 ボロボロになった掃除道具が彼女の手から離れて、床に落ちる。カトラは歯を食いしばり、溢れ出てくる涙を堪えるが――それが雫となって頬を伝って落ちていくのに時間はかからなかった。

「うぅ~、悔しい、悔しいぃ~っ」

 手巾は前掛けのポケットに入っているのに、子供のように袖で涙を拭ってしまう。こうやって悔しい、悲しい気持ちをぶつぶつと呟きながら泣いて、どうにか気持ちにケリをつけてきた。母親が亡くなってから、スタール家の人々に助けを求めるまで、一人で。

「……カトラ、涎が垂れているよ」
「えっ!!?」

 ああ、そうだった。まだヘルギがいたのだった。大急ぎで口元を袖で拭って顔を上げると、目の前にヘルギがいて――ふわりと抱きしめられた。
 ――え?どういうこと?赤の他人の異性に抱擁されたことがないカトラが石になる。

「涎ではなくて、鼻水だったかな?」
「嘘でしょっ!!?」

 鼻水を拭きたいが、ヘルギの胸板に顔がぴったりとくっついている。隙間がない。こうなったら、このまま顔を動かして――いやいや、それはいけない。どうにかカトラの理性が勝った。

「ちょっと、あの、服に鼻水がつくわよ……っ!?」
「まあ、気にしないで」
「気にするわよっ!この服、仕立てが良いから高いでしょうがっ!」
「我が家には洗濯名人がいるので」
「御免なさい、洗濯名人さん!お世話かけます!」

 どういう訳か、ヘルギはカトラを閉じ込める腕を解かない。大きな掌がカトラの柔らかな背中をポン、ポンと一定の調子で優しく叩く。

(私、子供扱いされてるのかしら?)

 ヘルギには年の離れた妹がいる。同じように扱われているのかもしれない。

「ヘルギ、貴方、年齢は?」
「二十二歳」
「二歳年下でしたぁ!!!」

 ああ、もう、どうしてこんな状況に陥っているのだろうか。混乱状態のカトラの心臓はバクバクして、呼吸も荒い。これから捕食される獲物のような気分だ。けれども抱擁されて、背中を優しく叩かれているうちに徐々に安心感を覚えてくる。そうか、カトラは子供だったのか。

(絶世の美丈夫に抱き着ける好機は一生に一度訪れるか、分からない。この際だから、良い思いをしてしまいましょうか)

 急に腹をくくるなり、おずおずとしながらもヘルギの広い背中に腕を回すカトラ。頭上で小さく笑う声がした。こっちはドキドキして仕方がないのに、あっちは余裕なのがちょっとイラっとする。だけどヘルギの腕の中は思いの外、居心地が宜しくて――トンデモ親父への怒りや悔しさが霧散していった。これが、美丈夫のなせる技なのか。